フルートの歴史・発展【完全版】について解説
フルートは、世界中で演奏されている木管楽器で、音楽の歴史において重要な役割を果たしています。この記事では、フルートの歴史と発展について解説していきます。
古代〜ルネサンス時代
フルートは、リードを使わずに空洞に向かって息を吹き付けて音を出す楽器で、最も古いものは約4万年前にネアンデルタール人によって作られたアナグマ類の足の骨の笛である。原始的な笛は縦笛や石笛、土笛が主に使われていたが、横向きに構えるフルートが最初に用いられた時期や場所ははっきりしておらず、一説には紀元前9世紀あるいはそれ以前の中央アジアに発祥したと考えられている。奈良時代までには日本にも伝わり、正倉院の宝物に蛇紋岩製の横笛がある他、東大寺の八角灯籠には横笛を吹く音声菩薩の像がある。
西洋では、現在「リコーダー」と呼ばれている縦笛が古くから存在し、「フルート」と呼ばれていた。12-13世紀ごろに東洋から6孔の横笛が入り、ドイツ地方で作られ、「ドイツの笛」と呼ばれた。13世紀以降、「フラウスト・トラヴェルセーヌ」という名称がフランスで使われるようになり、ルネサンス期に入っても、横笛は一般的な楽器ではなく、軍楽隊や旅芸人が演奏するだけだった。しかし、16世紀に入ると市民の間で行われるコンソートの中で、横笛が使われるようになり、教科音楽でも用いられるようになった。現在では、このような横笛を「ルネサンス・フルート」と呼び、古楽器として復元楽器が製作されている。
バロック時代
17世紀初頭から始まったバロック時代には、ルネサンス・フルートはピッチの調節ができず、半音を出すのが難しく、宮廷音楽では使われなかった。この時代に横笛が改良され、フランスのジャック・オトテールとその一族が1680年代以降にフルートを広めた。
この時代も、単に「フルート」といえば縦笛(リコーダー)のことであり、現在のフルートの原型となった横笛はイタリア語で「フラウト・トラヴェルソ、フランス語で「フリュートトラヴェルシエール flute traversiere」、ドイツ語で「クヴェアフレーテ Querflote」すべて(横向きのフルート」の意)と呼ばれていた[5][10]。省略して単に「トラヴェルソ」とも呼ばれ、現代では「バロック・フルート」と呼ぶこともある。 wikipediaより引用
バロック・フルートが改良され高い表現力を身に着けると、オトテールとその一族が仕えるルイ14世の王宮で人気を得て、縦笛に取って代わる存在となった。ドイツの宮廷ではフランス音楽を積極的に受け入れ、フランスのフルート奏者を好んで雇用するようになり、そこからドイツ人のフルート奏者も育っていった。代表的な例としては、ザクセン選帝侯の宮廷に仕えたフランス人フルート奏者のピエール=ガブリエル・ビュファルダンと、ビュファルダンの勧めでフルート奏者となったヨハン・ヨアヒム・クヴァンツが挙げられる。
古典派〜ロマン派初期
18世紀半ばから19世紀前半にかけて、古典派の時代には、フルートの改良が行われた。半音を改善するために新しいトーンホールが追加され、キーメカニズムが取り入れられ、高音域が出やすくなるように管の内径が細くなった。これらの改良によって、より多くの調に対応できるようになり、最低音がC4まで出せるフルートも作られるようになった。これらの楽器は、バロック時代のフルートと区別して、「クラシカル・フルート」または「ロマンチック・フルート」と呼ばれている。この時代には、表現力に劣る縦笛は廃れ、フルートといえば横笛を指すようになった。
クロスフィンガリングが不要になったのは大きな進歩に違いないが、これらは当時の楽器製作者たちが、それぞれの考えに基づいて改良していったため、操作法が統一されていない上、運指も複雑となって運動性能が良いとは言い難く、必ずしも十分な効果が得られたわけではない。
ベーム式フルートの登場
C.ニコルソンは1820年代から活躍したイギリス人フルート奏者で、大きな手と卓越した技術によって通常よりも大きなトーンホールの楽器を演奏していた。1831年、ドイツ人フルート奏者で製作者でもあったテオバルト・ベームは、ロンドンでニコルソンの演奏を聴き、その音量の大きさに衝撃を受け、自身の楽器の改良に取り組むことになった。
このモデルはいわゆるGisオープン式であったが、通気を損なうことなく運指が容易になるGisクローズ式に改変されたタイプがフランスで用いられるようになった。管体はまだ木製で円錐形のままであったことから、今日では「円錐(コニカル)ベーム式フルート」などと呼ばれている。
ベームはその後も、50歳を過ぎてから大学で音響学を学ぶなど研究を続け1847年に次のようなモデルを発表した。
このモデルもGisオープン式ではあったが、現在のフルートとほとんど変わらず、極めて完成度の高いものであった。これ以降今日までに加えられた大きな改変は、イタリアのジュリオ・ブリチャルディ(Giulio Briccialdi 1818年 – 1881年)により、フラット(♭)系の調を演奏するのに便利な、いわゆるブリチャルディ・キーが付け加えられたことと、より運指が容易なGisクローズ式が主流となったこと程度である。
ロマン派中期以降
1847年に発表されたベームのフルートは、現代のカバードキー型と似ていますが、Gisオープン式で、外観はやや武骨な印象を与えます。しかし、フランスの楽器製作者であるゴッドフロワやロットらによって、新しいリングキーを採用したフレンチスタイルのフルートが生み出され、より運指が容易なGisクローズ式に変更され、意匠面も改良されました。こうして、現代のモダン・フルートが誕生し、洗練された優美な姿になったのです。
1860年に、パリ音楽院の教授となったルイ・ドリュは、学院の公式楽器としてモダン・フルートを認定しました。そして、アルテ、タファネル、ゴーベール、モイーズらのフルート科教授によって、フルート奏法の発展と確立が行われ、ドビュッシーやフォーレを含む多くの作曲家たちが作品を生み出しました。それまで装飾的で限定的に使用されていたビブラートも、より積極的に取り入れられた演奏スタイルを確立し、フランス楽派と呼ばれるようになり、フランスはフルート先進国として一躍注目されました。アルテが著した教則本は今でも最も有名なモダン・フルートの入門書の一つです。
一方、ドイツやオーストリアでは、金属でできたフルートの大径トーンホールから発せられる倍音を豊かに含む音色を好ましいと考えない場合がある。それにもかかわらず、ベーム式メカニズムの優れた点を認めざるを得ず、20世紀に入る頃には、管体は木製であっても、メカニズムはベーム式という中庸的な楽器が用いられるようになりました。同時に、金属製のフルートも徐々にではありますが採用され始めました。しかしながら、ドイツのH.F.メイヤーが開発した多鍵式、円錐管、旧式運指のメイヤー式フルートでは、トーンホールの径を拡大して音量を増やすなどの改良が行われました。多くのメーカーによって模倣され、フランス以外のヨーロッパやアメリカでも、1930年代まで使用されていました。
近現代
ベーム式フルートは、改良の余地があることが明らかになり、様々な改良が試みられました。その中には商品化されたものもありましたが、今日までベームの基本設計を超えるようなものは現れていません。ベーム式フルートは、その地位を確立し、フレンチスタイルが登場して以来、構造面では特に大きな変化はありませんが、奏法の面で大きな進歩が見られました。それが現代まで続く、フルートの形、発展の歴史となります。
❖ フルートレッスン一覧
フルート記事一覧
総合/HOMEへ戻る